東京湾における貧酸素水塊と無酸素水塊

東京湾の底層では毎年夏季になると大規模な貧酸素水塊(概ね溶存酸素濃度(DO)が3mg/L以下の酸素が不足した水塊)が発生しています.完全に酸素が無くなった水塊(DOが0mg/L)は無酸素水塊と呼ばれていますが,広義には無酸素水塊は貧酸素水塊に含まれます.貧酸素水塊中では酸素不足のため,多くの魚介類の生息が困難になり,DOの低下とともに死滅(へい死)してしまいます.そのため,東京湾ではこの貧酸素水塊の発生が最も深刻な水質上の課題となっています.

無酸素水塊と硫化物の発生

無酸素水塊下の底質では,酸素に代わって硫酸イオンを呼吸に使う硫酸還元バクテリアが増殖し,硫化物を発生させます.硫化物イオンは酸素と反応(酸化)しますとコロイド状のイオウ粒子となります.また,硫化物の一形態である,硫化水素は猛毒です.この硫化物を含む無酸素水塊が北東風などによって引き起こされる,吹送流によって表層まで湧昇しますと,水面が青白く濁る「青潮」が発生します.青潮の水は無酸素であるだけでなく,硫化物を含むことから毒性があり,さらに硫化物が酸素を消費することで,酸欠状態が長時間続きます.従って,青潮の水が干潟や浅場に侵入しますと,アサリなどの底生動物の大量死を引き起こすことがあります.東京湾の浦安市,市川市,船橋市に囲まれた三番瀬は東京湾を代表する干潟・浅場であり,漁業が盛んですが,青潮によってアサリ資源が激減するようなことが数年に一度の頻度で起こっています.

総量規制の導入による水質改善の取り組み

このような,東京湾における貧酸素水塊の発達とそれに起因する魚介類のへい死や物質循環の劣化は,長年にわたり水質上の最も深刻な問題と考えられます.1980年に有機物濃度の指標である,化学的酸素要求量(COD)に関する総量規制(後の,2001年から全窒素(TN),全リン(TP)にも総量規制を適用)が導入されました.その結果,COD,全窒素,全リンなどの流入負荷は,半分から1/3にまで減少し,水質全般の改善が見られるようになりました.しかしながら,貧酸素問題だけは改善の兆しがほとんど見られません.

無酸素水塊のモニタリングの必要性

このような状況ですので,まずは,硫化物を含む無酸素水塊が減少し,多少とも酸素を含む,貧酸素状態に改善することが,取り組みの第一歩であると考えています.そこで,そもそも硫化物を含む無酸素水塊がどこにどのような規模で発生するのか,また,それらの発生源の中でどのような場所と規模で対策を採り,予想される効果はどのようなものかを明らかにしていく必要があると考えています.そのために,硫化物を含む無酸素水塊のモニタリングも重要です.様々な環境再生事業の効果として,最初に発現すると推察される,無酸素水塊中の硫化物濃度の低下,無酸素水塊の縮小を捉えるためです.行政による公共用水域水質測定では硫化物のモニタリングは実施されていませんが,環境再生施策を評価・検証していくためには,こうした無酸素水塊のモニタリングを実施していくことが必要と考えています.


図1 東京湾の水深分布(左)と幕張沖浚渫窪地の水深分布拡大図(右)および側線に沿った鉛直断面水深分布

無酸素水塊の発生源と青潮影響に関する現地調査

佐々木研究室では,東京湾奥部において,溶存酸素濃度(DO)と硫化物濃度の時空間分布を把握し,主要な無酸素水塊の発生源とその青潮への影響を明らかにすることに取り組んでいます.


図2 東京湾奥部の平場の底層水中の硫化物濃度の平面分布(右),および平場(左)と幕張沖浚渫窪地(中)における水質の鉛直分布

図2 の左側の2つは,一般に貧酸素・無酸素水塊が最大規模になる,初秋における東京湾奥部の平場(通常の平らな海底)と幕張沖浚渫窪地の水質鉛直分布です.黄色くハッチをかけた部分が無酸素水塊で,溶存酸素濃度(DO)が0になっており,硫化物(TS)が発生していたことが分かります.無酸素水中では酸化還元電位(ORP)が負値をとります.また,無酸素水塊の付近では濁度が高くなり,濁りが発生しています.これは硫化物と酸素が反応し,イオウ粒子が生成していることを示唆しています.中層,底層で青潮状態になっていると言えます.平場では間欠的に無酸素水塊が発生していますが,浚渫窪地では夏季の間ほぼ常に無酸素状態にあり,その中で高濃度の硫化物(TS)が蓄積されていきます.
図2 の右側は同じ日の平場底層水中の硫化物濃度(TS)の平面分布を表しています.東京港沖から浦安沖に偏った分布をしていることが分かります.貧酸素・無酸素水塊は風による流れ(吹送流)や密度差による流れ(密度流),潮流などの影響でダイナミックに動いています.千葉県水産総合研究センター東京湾漁業研究所では,このような貧酸素水塊の時空間変動を予測し,貧酸素水塊分布予測システム(石井ら,2011)としてWEBで公開しています.


図3 夏季の千葉航路における水質鉛直分布

東京湾には大型船舶が港へ入れるように航路が建設されています.中でも船橋航路と千葉航路は規模が大きく,平場より海底が深く掘り下げられています.また,千葉港や船橋港といった港も深く掘り下げられています.したがって,航路や港も貧酸素化しやすい環境にあります.図3は夏季の千葉航路において観測された,水質の鉛直分布です.やはり,底層に無酸素水塊が発生しており,硫化物濃度が高くなっています.一見すると,図2の平場ほどではないように見えますが,航路には夏季の間恒常的に無酸素水塊が発生していることが知られ,沖合底層水と港をつなぐ水路として,無酸素水塊の通り道ともなり,港やその周辺の青潮の発生要因にもなっています.

参考文献

  1. 佐藤文也,佐々木淳,佐野弘明,呉海鍾:東京湾奥部における硫化物を含む無酸素水塊の変動特性と数値再現,土木学会論文集B2(海岸工学),71(2),I_1267-I_1272,2015.DOI
  2. 石井光廣,古川恵太,佐々木 淳,柿野 純,増田修一,小森明裕,桃井幹夫,麻生晃也:東京湾底層DO分布の短期予測システムの水産分野への活用に向けた実証的研究.土木学会論文集B2(海岸工学),67(2),1236-1240,2011.DOI